今回、2020年ぶりにブログを再開することにした。この数年、ブログを再開したいという気持ちと、ネットで情報発信することのデメリットで葛藤していたが、今回、やってみようという決心がついた。
理由はいくつかあるが「『監視しにきている過去の知り合い』や『物言わぬ閲覧者』を必要以上に気にしたり、悪く捉えても仕方がない」と思ったことが大きい。あとは、情報発信をしたい、自分語りをしたいという単純な欲求だ。
過去の知り合いからの監視
近年俺は、自分のネットでの活動を見に来ている『過去の知り合い』や『物言わぬ閲覧者』を過剰に気にしていた。
「縁が切れた過去の知り合いが自分のツイートを見に来ているのでは」ということは、SNSをやっている人なら誰しも一度は考えたことがあると思う。そのことにどう向き合うか、ああでもないこうでもないと考え続けていた。それでこの数年は、公開Twitterアカウントを作っては半年ほどでツイ消ししたり、鍵垢に戻ったり、などを繰り返していた。
例えば、ガイキチ(別名きっつぁん、エフィー)というネットの知り合いは、2013年に縁が切れてから2019年までの6年間にもわたって、俺のブログやTwitterを監視し続けていた。それが判明したのは、彼が『髭林ダイナマイトスタジオ』という俺の以前のブログの『ブログ内検索』というウィジェットを使って、彼と俺にゆかりのあるワードを検索しまくっていたからだ。Google analyticsを入れているとブログ内検索をした人のIPアドレスなどがわかり、ホスト名に彼の住んでいる都道府県が表記されていたので同定できた。
このように、過去の知り合いが自分のネットの活動を見に来ているというのは、ただの自意識過剰や被害妄想では片付けられない、実際に起こっていることだ。俺はネットで知り合って縁が切れた人物が多いので、彼以外にも何人か、見に来ているだろうなという心当たりがある人物がいる。
直接接点があったわけではなく、ネットで俺を知って、俺は彼らを知らないという関係性の『物言わぬ閲覧者』の中にも、俺の近況を知りたがっている人はいるはずだ。俺はpixivへの絵の投稿や、Twitterやブログや、Youtubeへのオリジナル曲の投稿など、いろんな方面から情報発信をしていたので、俺のことを認知した人は結構いたように思う。(現に、俺の発信していたネタやワンフレーズを、俺の知らないところで使いまくっていた人がいた。)
ネットで情報発信をしたり人間関係を構築する以上、自分のことを知る人が「そーいや髭林おなもみって人いたな、どうしてるかな」と数ヶ月か一年に一度くらい検索して見に来るのは自然なことだ。俺としても「人生けっこううまくいき始めたぞ」というようなことを彼らに伝えたい。
一方で彼らに「髭林おなもみが不幸になってたら面白い」と思われたくないという気持ちもあり、公開アカウントではpixivの絵の告知ツイートと、ごく僅かな日常ツイート(ライブに行ったなど記念的なこと)しかしなくなり、それ以外のツイートはすべて鍵垢で行うようになった。2019年の公開垢での幻覚剤事故ツイートを見て笑ってたやつもいたんじゃないかと思うと悔しい。
長年考え続けて気づいたのは、監視されてあれこれ思われる事自体は『実害』ではないのではないかということだ。むしろ、悪意を持って見ている人を気にし「不幸を喜ばれたらどうしよう」と思って、情報発信自体をしなくなるほうが実害に近い。それは彼らを優先しているということであり、俺の『物事の悪い側面ばかり見る』という性質が過剰になるとこうなるのだと思った。
今回ブログを再開するにあたっては、過去の知り合いや物言わぬ閲覧者はもちろん職場や家族や恋人などの関係性の人たちが見に来てもいいくらい、公開する情報を取捨選択して丁寧に書いていこうと思っている。
髭林ダイナマイトスタジオの反省
俺は2015年から2020年初頭まで、髭林ダイナマイトスタジオというブログを運営していて、画像付きの商品レビュー記事、発声に関する記事、精神世界のこと、恋愛・男女論などを書いていた。記事数は膨大になっていて(500~1,000記事)、記事も画像も管理不可能な状態に陥っていた。どうでもいい記事も多い中、「どうやったら見てほしい記事をちゃんと見てもらえるのか」ということを考えて迷走を極めた。最後の方は『近い内容の記事を長文の一記事にまとめる』ということをやり始め、その作業のためにファミレスに通い、多くの時間を使った。
最終的に2019年10月の幻覚剤事故後「少しでも間違った情報を発信してはいけない」ということを過剰に意識したり(自分が「アカシア茶とグレープフルーツジュースを一緒に飲むと良い」というブログ記事の情報を鵜呑みにしたことで大変な目に遭ったため。)、上述の物言わぬ閲覧者などを気にし、閉鎖した。現在、当時の記事はいくつかの重要だと思ったものを除いてローカルにも残っていない。最後の記事は、幻覚剤事故直後と近況報告(筋トレを始めた等)という内容だったが、それももう残っていない。
髭林ダイナマイトスタジオにはコメントや問い合わせのメールはほとんどなく、たまに批判的な記事を2chに晒されるくらいだった。だが、閉鎖してから数カ月後に、TwitterのDMで何人かから「ブログ楽しく読んでました」「記事のバックアップあったらもう一度読みたいです」などのメッセージを頂いた。楽しんでくれている人がいたのはよかったが、今の俺からすると、男女論や社会に関する稚拙なオピニオン記事が多く、恥ずかしい。発声に関する記事も間違いだらけで、あとで修正版だと言って公開したものも間違っていたりして、才能がないことを痛感したのでもう発声理論には手を付けないようにしている。
稚拙さにしても、読んでほしい記事がどうでもいい記事に埋もれる、ということにしても、すべては当時何事においても『足し算』しか知らなかったということに尽きる。文章なら思ったことは全部書き、絵なら描けたものは全部公開し、推敲や整理や削除をしない、というスタイルだった。だから、練り上げられていない稚拙な記事が量産され、本当に読んでほしい記事がそれらに埋もれる、ということが起こった。俺は幻覚剤事故と、その後の人生での経験を経て、引き算の大切さを学んだ。足し算だけ(全採用・全公開)、引き算だけ(ネットで何も公開しない)というのは極端で楽なのだが、足し算と引き算を繰り返して中庸を取らなければいいものはできないとわかった。
今回のブログでは以上のような、髭林ダイナマイトスタジオでのブログ運営の反省を活かしたいと思っている。
まとめ
昨今のインターネットの情報は、Twitterのおすすめ欄やTiktokなど『流れてきては見て消費して終わり』というものばかりだ。Twitterでは、Twitter内で見れる文章や画像が重要で、外部リンクに誘導した途端に離脱するらしい。そういった消費するための情報ではなく、わざわざアクセスして見に来る必要があるようなことを書きたい。
上にも書いたように、どんな記事であれ、過去の知り合いはもちろん家族、友人、恋人、最悪は職場の人などに見られても良い内容にするつもりだ。このブログは実名での情報発信でもなければ紙媒体での本の出版でもない『消そうと思えば消せてしまう媒体』ではあるが、できる限りの責任を持つ。正確には、責任を持てる範囲でやる。もしかするとまたブログを消すこともあるかもしれないが、その時は「またか」と思ってくれればいい。
それでは、過去の知り合いも、物言わぬ閲覧者の方々も、俺に興味を持ってくれてありがとう。今後ともよろしく。