この5年間にあったこと

この数年、ツイートしてはツイ消ししてという感じで、どう過ごしてきたか、何を経験したかをほとんど記していなかったので、以下に書く。

2019年暮れ 幻覚剤事故とコロナ発生

俺が2019年10月にアカシア茶(アヤワスカアナログ、DMT)という幻覚剤を使用して事故って死にかけたことは、当時リアルタイムで地獄のようなツイートをしていたので知っている人はいるかと思う(この欄では書ききれないほどの体験と、精神・自我の変化があったので、いずれ別の記事に書こうと思っている)。以前のブログ『髭林ダイナマイトスタジオ』はその頃閉鎖した。事故直後は不眠、不安感、パニック、離人感、幻覚などで苦しんでいたが、12月からスーパーで働き出し、人に勧められた『脳を鍛えるには運動しかない』という本に触発され、ジムにも通い始めた。その頃コロナが発生して、世の中も一変することになった。

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2020年は幻覚剤事故の後遺症がまだひどく、iHerbでサプリを買って試したり、近所の24ジムに週4~5通っていた。4月には、コロナを恐れてスーパーを退職した(後述するが、そこから2021年11月まで無職だった)。当時はとにかく筋トレに夢中になっていて、ベンチプレス100kgを目指して食べまくり、体重も10kg増えたりしていた。初心者故に、ジムでいろんな怪我をし、高い整体院に通ったことで長年の坐骨神経痛・梨状筋症候群の原因と治療法がわかり楽になったが、それはもとを辿れば幻覚剤事故の恩恵の一つかもしれない。今2020年のことを思い出しても、ジムのことしか思い出せないくらい筋トレ漬けの一年だった。

2021年からはピタリとジムに行かなくなり、少しずつバイトを探しつつ、PS4でラスアスやバイオREなどのゲームをやったり、Tinderで女性と会ったりして、無職の日々を楽しんでいた。後半から、やっぱり労働・雇われは嫌だ、絵で稼ぐ、と執着しエロ絵制作に集中した。

しかし2021年暮れには、描きたくないエロ絵を描くのはしんどいと思って諦めた。その頃関東に行く用事があり、ボイトレ関連で知り合った関東の同い年の友人とはじめて対面で会った。そして彼の社会人としてのかっこよさに圧倒され、俺も地に足をつけてバイトからでも始めるぞ、そんで彼女も作るぞ!と一念発起した。その夜、関東から名古屋に帰る深夜の高速バスでの奮い立つ気持ちは一生忘れることはない。

2022年~2024年現在 労働の再開、2人目の彼女、引っ越し

その直後、2021年12月に近所の服の倉庫のバイトに採用され、その月に彼女ができた(2017年ぶり2人目)。絵で稼ぐことを諦めたどころか、12月1日の初出勤日を境に、絵自体もやめる、と決めた。パソコンを触れない環境にし、ソファや58インチのテレビを用意して、恋人と過ごすことに特化した部屋に模様替えした。そこから2022年3月くらいまで彼女と半同棲状態だったが、彼女の都合で遠距離になり、年半ばに別れた。この頃世の中はコロナ全盛期で、マスク着用の圧力や、緊急事態宣言と解除の繰り返しや、ワクチンを打つ打たないの対立などが起こっていた。

ノーワクチンでコロナ禍を終えた感想
俺は2020年にコロナが始まってから5類に下がるまで、親しい人が新型コロナワクチンを打つのを止めたりしていたゴリゴリの反ワクチンであり、自分自身は1回も接種していない。結論から言うとノーワクチンでも何も問題なく生活できている。 この記事では

夏には、20代最後だからと東京、千葉、京都、仙台と色んなところに旅行し、これまで会おうと思って会えていなかったネットの知り合いに会いまくり、都会で遊びまくった。

9月頃には、上述の関東の友人から
「もみさんには力仕事よりオフィスワークが合っていると思う」
というアドバイスを受け、オフィス街にアクセスしやすい場所に引っ越した。

名古屋には5年住んだことになる。今でも名古屋にはたまに行くが、はじめて彼女ができた思い出や、幻覚剤事故からのジム通い、2人目の彼女との思い出などが色んな場所に残っている。

オフィス街近くに引っ越し、2023年は派遣でコールセンターを経験。世の中的には、5月にコロナが5類に下がり、コロナ騒動は一応収束した。そのあたりからTwitterなどを見ていて日本語を煩わしいと感じ始め、それがきっかけで英語に興味を持ち、学習のためにAnkiや言語交換アプリを使ったりSwitchを買ってマリオやドラクエなどのRPGを英語でプレイし始め、今も続けている。

その後も別の現場でのコールセンターを経験し、かなりのスキルアップになった。これは自慢だが、その現場では電話応対の高評価で表彰された(100人以上のオフィスで俺を含め2名が表彰された)。

髭林ダイナマイトスタジオを見ていた人は俺が
「24歳職歴なしフリーター、働けない、自立できない」
などと嘆いていたのを覚えていると思う。しかしいざ働いてみると、服の倉庫では率先して力仕事をするということで頼りにされたり、前述のようにコールセンターの現場で表彰されたりした。

2つ目のコールセンターの派遣が満了してから、電話応対の経験を活かして今の仕事に受かり、現在(31歳)に至る。

あとは、この数年で何人かの彼女ができたりワンナイトやセフレを経験したりなど女性関係でも色々あったのだが、どれもあまりに個人的な内容で、いい話でもないのでここにも書くつもりはない。ちなみに2023年の春にはパイプカットをした(子供を堕ろさせたから、とかの理由ではない)。

パイプカットした感想 子なし・配偶者なしでも施術してくれる病院について
昔からパイプカットをしたいと思っていて、2023年3月にやっと手術することができた。手術は無事成功し、精液中の精子はゼロになった。性欲や勃起などの性機能には変化はない。 この記事ではパイプカットをした感想や、施術の流れ、費用などについて書い

上に、無職をしていたと書いたが、幻覚剤事故までは貯金を食いつぶしていて、事故以降は親に金の援助をしてもらっていた。俺は当時人に何でも話してしまうところがあり、親に金を援助してもらっていることを何人かの女性に言って馬鹿にされた。そのことにめちゃくちゃ腹が立ち、頑張って働き、2023年には親からの援助を受けることもやめた。

現実で生きていく力がついた

この数年の出来事を省みると、地に足がついてきたように思う。週5日8時間働くのも繁華街で1日中遊ぶのも、髭林ダイナマイトスタジオに暗い内容の記事を投稿してた頃や、配信で十何時間ゲームをしながら喋り続けたりしていた頃にはできなかったことだ。DMTで一時的に自我崩壊(自我の死)して離人症などを体験し、その反動で強く地に足がついたのかもしれない。

あとは、容姿のコンプレックスが解消されたことが大きい。俺は17歳頃から目の下に緑色の静脈がくっきりと浮き出ていて(「Under the eye vain」などで検索すると出てくるような画像)、それは白人には多いようだが日本人ではまず見かけないので
「すっぴんで人と会うとぎょっとされる、数機の目で見られる」
「恋人の前でもメイクを落とせない」
などと悩み続けていた。コンシーラーをつけたらつけたで浮いたりヒビになるので、デパコスなども含め徹底的に試しまくっていた。

幻覚剤事故以降、数件の美容皮膚科で施術をし、合計20万円近く使ったがどれも効果はなかった(2022年11月に関東の友人と会ったのも、美容皮膚科にレーザー治療を受けに行くためだった)。

万事休すで諦めていた頃、2人目の彼女に
「私は気にしないからすっぴんでいいよ」
と言われ、すごく救われたのを覚えている。

好きな女性に受け入れてもらえたしこのままでもいいかと思っていた直後、ある病院のレーザー治療がてきめんに効き、今ではすっかり消えた。今この記事のために思い出して書いているが、もう解消されたことなので普段は思い出すこともなかった。あれだけ悩み、これさえ消えればなにもいらない、などと思っていたのに、慣れというものは怖い。

まとめ

今思うと、働きたくないと言ったり、17~20歳の頃家に引きこもって配信をしまくったりネット漬けだったのは、主に容姿のコンプレックスが原因でリアルで活動できなかったことが大きい。仕事や容姿のコンプレックスが解消され(全部ではないが)、ネット弁慶になる必要がなくなったことで、配信などでのコミュニケーションが一個人との通話・対面でのコミュニケーションに移行していった。

5年間で色々なことを経験しスキルも得られ、ある程度社会でやっていけるようにはなったが、まだまだ人並みとは思っていない。幻覚剤後遺症とは一生付き合っていかないといけないので、今後も健康に気を使いつつ、生活や仕事に関して改善できるところがあればしていきたい。

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