俺が10代の頃から好きなバンドは『エレファントカシマシ』『Syrup16g』『フラワーカンパニーズ』『ASIAN KUNG-FU GENERATION』『Theピーズ』そして『ネクラポップ』(石風呂という人のティーンエイジ・ネクラポップという曲のことではない)。2000年代にいくつかの音源を発表したバンドで、彼らの曲には俺の10代半ばの頃の思い出が詰まっている。
この記事ではネクラポップの楽曲や、それにまつわる個人的な思い出などを書いていく。
※この記事は2010年代に書いた記事を加筆修正したものです。
『ネクラポップ』というアルバムと『ネクラエンド』という曲について
ネクラポップの『ネクラポップ』というアルバムは10曲入り。その中で特に好きな曲は『人間の屑』『あくまのて』『平行線』『雑音世界』『すみれ』で、最も好きなのは最後の『ネクラエンド』という曲だ。
このアルバムの特徴的なところは『ネクラエンド』という曲が、9曲目までのいくつかの曲の歌詞を抜粋したメドレーのような形をとっているところ。曲の長さは10分あり、ずっと同じコード進行と、ピアノ、ストリングスのバッキングが続き、アドリブ的な歪んだギターが鳴らされる。俺はその曲に人生や人間関係や言葉や宇宙や時間のすべてが包摂されているように感じる。これほどの曲が、未だ多くの人に知られていない。しかし、むしろこの多くの人に知られていない感じが好きでもある。俺は、自分が死ぬときにはこの曲を聴きながら死にたい。
ネクラポップは2000年代にこのアルバムとシングル3枚を発表し、それ以降音源の発表はない。俺は彼らがこのアルバム1枚で表現したいことすべてが表現し尽くしてしまったのではないかという印象を受けた。
ネクラポップの楽曲と個人的な思い出
俺がネクラポップに出会ったのは15歳のときで、不登校だった中学時代を過ぎ、通信制高校の入学を目前にした冬頃だった。スカイプの知り合いに「Syrup16gが好きならこれも気に入るかも」と勧められ、すぐに好きになった。当時持っていたiPod Touch第2世代でネクラポップのアルバムを聴きながら通学していた。
一つ一つの曲すべてに思い出があるので、印象的だった歌詞を抜粋しながら紹介していく。ほとんど自分語りなので悪しからず。
1曲目『処置なし』を聴きながら家の扉を開け、2曲目の『人間の屑』という曲のドラムのリズムに合わせて、自宅からバス停までの道を歩いていたのを鮮明に覚えている。
センセイボクシニタクナイヨ
宇宙の果て、こんな無様な姿で
楽勝に思えたことさえ
何ひとつできずにおわるんだ– 人間の屑
愛情の渦ってやつに
ぼくらのみこまれていくのです
人間の屑ってやつに
進化していくこともあるのです– 人間の屑
感情の差異ってやつに
いつもふりまわされちゃうのです– 人間の屑
3曲目『ヒツジサル』を聴きながらバスに揺られていた。4曲目『あるまじき行為』を聴きながら、バスの窓から空を眺めていた。
無地の真っ青な空溶け込んで 二度と取り戻せやしないのさ
– あるまじき行為
学校を休んでつらい日は、家の布団の中でイヤホンをつけて、5曲目『あくまのて』を何百回もリピートしていた。
永久に続いてゆく坂道
上ったと思ったら下って
破滅を望む人もいたりして
世界の終わりへとまっしぐら– あくまのて
ところできみはどうしているの
はるか未来をのぞきこむ
信じるものさえ救われず
いつか時は逆回転– あくまのて
うつくしいものに触れていたいのさ
ほかのなにも構いやしないんだ– あくまのて
6曲目『地下鉄の花』は、その通信制高校に行かなくなり、代わりに高認試験を無断で受けに行った冬、地下鉄の寒い駅構内を歩いて試験会場に行った日を思い出す。
7曲目『大後悔時代』は、ヒツジサルやあるまじき行為同様、通学のバスの中でよく聴いていた。
とんでもないぼろをまとって
晴れの舞台で反吐を吐いた– 大後悔時代
8曲目『平行線』や9曲目『雑音世界』は学校の昼休みや移動教室の時に、周りの生徒の声を遮断すべく、イヤホンを耳に詰め込んでひたすら聴いていたのを覚えている。今でもその二曲を聴くと、当時の教室の温度感、制服の感じ、周りの雰囲気などがありありと思い出される。
いつか言葉の海に飛び込んで
海の底の砂に触れたいのです
意味なんて無いさ漂ってあるのは平行線
はるかな平行線– 平行線
特に『雑音世界』は、まさに当時の俺の心境を歌っている。劣等感の強い思春期の人間にありがちだが、周りの生徒や教師の声が雑音でしかなかった。後半激しく展開が変わり、最後は静かなピアノで終わる。俺はこの曲を聴くとどこまでも続く真っ白な空間が頭に浮かぶ。
ぷっつん気取りのぼくやきみは
誰かのために何かができない
どれもこれもがはじけた残像
壊れた舞台にどれもなじんでる– 雑音世界
9曲目『すみれ』は、当時、瞑想や体外離脱に挑戦していて、現実世界とは全く世界観や雰囲気の違う脳内世界や夢の世界で過ごした記憶と重なっている。夢から醒め、現実世界で外に出かけていくときのことを思い出す。この曲は、最後に激しく歪んだギターの展開があり、その後静かで不思議なピアノで終わるのが好きだ。
夢から醒めてぼくらは
果てなき明日への旅に出る– すみれ
『すみれ』の最後のピアノは、そのまま10曲目『ネクラエンド』につながる。上述のとおり、10分という長さの中で9曲目までのいくつかの曲の歌詞がメドレーのように詰まっており、この世界を全て包摂したような空間が広がる。『ネクラエンド』を聴くと、高校の頃の記憶を始めとして、それ以外の人生のいろんな場面が思い出される。18歳の頃、一人暮らしから実家に帰ってきてニートをしていて、平日の昼間に何時間もぼーっと天井を眺めながらこの曲を聴いていた。
Myspace版
ネクラポップというアルバムには、Amazonでも売られているCD以外に、五島圭さんのMyspaceにアップロードされたバージョンがある。
そちらはかなり荒削りなのだが、CD版とはまた違った雰囲気があり、好きだ。
ネクラポップのシングル曲
ネクラポップはシングルも良い楽曲ばかりだ。『人間の屑』というシングルの3曲目に収録された『虚言鳥』という曲は、一回目の高校をやっとやめられるという状況の時に聴いていて、歌詞の内容は当時の自分や担任教師のことを歌っているように思えた。
※シングル曲の歌詞カードは現在持っていないので、漢字の表記などは正しくないかも。
やめたいんだ もうやめたいんだ
かなしみはもうたくさんだ– 虚言鳥
冷たくあしらっちゃうんです いずれはいなくなるのです
クソみたいな現実と 今日でおさらば– 虚言鳥
今に見てろって そう言うなって
金縛りにあうんだって– 虚言鳥
『あるまじき行為』というシングルの3曲目に収録された『ムニムニ』という曲も良い。スタンドバイミー進行で、冬の雰囲気を感じる。異常に中毒性があり、何度もリピート再生した。ネクラポップの曲は自分でもよくコピーしたが、この曲は特によく弾き語りで歌った。
まったくのまぬけになって あの娘に手を振った
ゆっくりとまともになって なにもかも忘れちゃうんだやりなおせ できるならそうしてるさ
– ムニムニ
何年経っても僕ら この殻に篭って生きてくんだ
破れやしないだろう 奴だって夢みたいな恋患ってんだ何回やっても僕ら 同じとこでつまづいちゃってんだ
だけど限界なんだぜ今夜 痛みの海をさまよってんだ– ムニムニ
『ユメノハテ』というシングル4曲目の『アイだけが』という短い弾き語りナンバーも良い。
いつか軟弱な幻想を破壊せよ
すべてはそれから– アイだけが
新曲について
ネクラポップはメンバーチェンジを繰り返し、現在ホームページには五島圭さんの名前しか書かれていないが、解散したということなのだろうか。『天使のポップ』『かなしくない』などの未発表曲もあるようだし、活動を再開してほしい。そしてできることなら音源を発表してほしい。
まとめ
俺は「学校に行けなくて、将来どうなるんだ」「働けない」「人とうまくやっていけない」などの劣等感ゆえに引きこもったり、躁状態的にハイテンションになったりを繰り返して、浮き沈みのある10代の日々を過ごした。今年24歳になり、ちゃんと金も稼いで独り立ちできるようになったが、感受性は弱まってしまった。『20歳までの人生は、その後の人生すべてと同じくらい重みがある』という言葉の通り、10代の頃のことを忘れることはできない。
俺はたまに、この先なにをすればいいかわからなくなる時がある。ネクラポップの楽曲は俺の10代の日々に寄り添ってくれたが、それで俺はどこにたどり着けばいいんだろうか。この先ネクラポップを超えるバンドに出会えるとは思えず、それは嬉しくもあり悲しくもある。
とりあえずこの記事でネクラポップについて書けて、そのことには満足した。俺はこれからも死ぬまでネクラポップを聴き続けるだろう。